●歴史

3代目・木下剛夫 編


因島大橋が開通して初めての正月
兄と二人で記念写真(昭和59年1月)
年月 木下剛夫の歴史 木下剛夫と潟Lノシタ
中学時代 バレーボール部に所属
生徒会長になる
(小学校の時リレーの代表になって)
高校時代 陸上部に所属
主将になる
800mを専門にしていたが県大会には出場できず
大学時代 大阪体育大学に進学
陸上部中長距離ブロックに所属
4回生の時広島県選手権800m4位
広島県教員採用試験に不合格
卒業を控えた2月に潟Lノシタを継いでいた長男の兄が他界
社会人 広島市の安芸区スポーツセンターに就職し約3年間在籍する
この間3回広島県教員採用試験に不合格

昭和63年5月9日(月曜日)
平成2年3月 鰍モじくまに就職
広島県実業団選手権800m優勝
潟Lノシタを継ぐことを決め、中食の長谷崎晋作さんの紹介で、いりこ・のり・椎茸のメーカーの鰍モじくまに就職
平成3年11月 潟Lノシタに就職 (中国駅伝で最終区間を走った時)
平成5年2月 結婚
11月長女誕生
中国駅伝に合計6回尾道市体協の選手として出場
平成7年7月 次女誕生
平成9年7月 マスターズ中国大会800m優勝
長男誕生
納品先の1社が営業権を他社に譲渡
平成10年3月 米の量販店部門のほとんどの営業権を他社へ譲渡
同年7月取締役に就任
平成11年7月 マスターズ中国大会800m1500m参加
平成24年 代表取締役社長

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生後10ヶ月頃

幼少の頃

高校3年の春
尾三地区総体の800m決勝で最下位になり県大会出場の夢が破れた瞬間

中学3年の時
野外活動においてみんなの前で1曲歌う

高校3年の春
県大会出場をかけた尾三地区総体を終えて向山先生(右)と部員で校歌を歌っている時

ふじくまを退社する時山下基さんが書いてくれたもの

鰍モじくま時代
ゴールデンウィークの休みで帰省中、祖母の両親の墓(福山・鞆)へ墓参りに行く途中

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