●歴史

歴   史

年月 木下昌英の歴史 木下昌英と
潟Lノシタ
昭和9年 木下家長男として豊田郡瀬戸田町に生まれる
昭和27年 大阪の日本澱粉に就職 父親が木下林次郎商店を創業
大阪に修行に行く
昭和29年 木下林次郎商店に就職
地元の友人とともに山登り・スキー・水上スキーなどにも熱中する

木下林次郎商店に就職
取引先を開拓し、取扱商品を広げていく
昭和35年 富美子と結婚し翌年長男が誕生 弟で三男の力夫さんが木下林次郎商店に就職
更に取引先を開拓して取扱商品を広げていく
昭和40年 次男剛夫が誕生
昭和47年 潟Lノシタに名称変更する
昭和53年 父親が他界 代表取締役社長に就任
関西学院大学経済学部を卒業した長男が潟Lノシタへ就職する
昭和62年 長男が他界
平成3年 次男剛夫が尾道へ帰ってくる
翌年結婚し次々と3人の子供が誕生する
剛夫が潟Lノシタへ就職する
平成24年 取締役会長

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PTA時報(昭和58年3月1日 第27号)
三の一
 三年前高校入試の際、子供の実力ではとてもむずかしいと思って居りました 北高へ入学を許可された日の喜びが、昨日の出来事のように思い出されます。

 私の兄弟四人共、また私の子供が二人共、北高でお世話になり、 諸先生方のご教導を賜り本当に目に見えない糸で結ばれているような気持ちでございました。

 入学するとすぐ兄が在籍していた陸上競技部へ入部させていただきました。 始めはクラブ活動が本人にとり負担が大きく勉強に差しつかえるのではないかと不安な気持ちが有りましたが、 担任の向山先生を始め先輩・友達の温かい励まし、慈愛深い心の感化によってはぐくみ育てられて 「努力・忍耐」というすばらしい力を得させていただく事が出来ました。

 本当に良き指導者と良き環境に恵まれた北高で学ばせていただいた事に感激すると共に、 子供にとってこの三年間に接した諸先生方始め多くの友達とのさまざまなふれ合い、 出来事は、永久に胸の中から消える事なく人生の宝として、 これから将来数々の壁にぶつかった時の大きな支えとなってくれる事を思い感謝の気持ちで一杯でございます。

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父 木下昌英について・会社潟Lノシタについて
 周りの人に父についての印象を聞くとやさしくてユーモアのある人と答えてくれる人が多い。

 私自身の印象は「家でも取引先でも裏表がなく、 気を配りすぎるくらい四方八方に気を使いなおかつ石橋をたたいて渡るような堅実な人間」というものである。

 私は父親の慎重すぎる性格が自分にもある事に気づき一時期父親を避けていたが、 今はそれはそれで受け止め自分なりにアレンジしていけばいいと考えるようになってきた。

 会社について言えば父親(社長)と叔父(専務)が車でいう両輪でいつも話し合い そして互いに助け合ってきたお陰で今の潟Lノシタがあるのだと確信している。

 父親や叔父に変わって取引先に行った時によく感じる事は、 二人の人間性や会社の姿勢に共感して取り引きしてくれている会社が多いという事だ。

 3代目の私は父親や叔父に大いに感謝し尊敬のできることが大変嬉しい。 私も二人の良い所をしっかり受け止め時代に即して自分なりにアレンジしていきたいと考えている。

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