因島の柑橘の歴史 |
室町時代の初期にさかのぼり 500年以上の歴史があるといわれている。
村上水軍が各地からみかんなど約60種の柑橘の苗木を持ち帰ったといわれており、
この影響で因島にはいろいろな珍しい柑橘が多く存在していたものとみられている。
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八朔の生いたち |
幕末の万延元年(1860年)に当時の浄土寺住職 小江恵徳上人が寺領に偶然実生(みしょう)した果実を見つけたのが
八朔のはじまりとされています。
恵徳上人が見つけた果実は当初「ジャガタ」(珍しくて名前のない雑種の柑橘の総称)と呼ばれていました。
そしてこの果実が旧暦の 8月 1日頃より食べられていたことから「八朔」と命名されました。
明治 19年(1886年)のことでした。
(2003年の旧暦 8月 1日は 8月 28日です)
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因島が八朔の栽培に 適している理由 |
土壌が良い
日当たりが良い
雨が少なく(年間雨量1000m〜1200m) 水はけのよいところが多い
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大消費市場への進出 |
大正14年秋、田熊出荷組合が設立され、村農会技師田中清兵衛氏の指導下に、
岡野佐太郎組合長、村上寿一副組合長らを先達として、
生産者一丸となって大都市市場への進出を図った。
卓越したアイデア、渾然たる人の和、緻密な企画が組合員の絶大な信頼と協力を得て、
組合の飛躍的発展と併せて八朔の販路も伸展していった。
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